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一次独立とエントロピー

こんな時間に投稿する人はそうそういないだろうと思いながら投稿します。



寒さが落ち着いたかと思えば、また寒さが帰ってきて、また暖かくなっては寒くなる。三寒四温というより五寒二温ってくらいな気がしてやまない新二回生漕手の大久保です。まさか大阪には雪が降るわけ無いだろと昨年の12月に思ってたら、新年一発目の練習から早速雪に降られて見事伏線回収しました。



さて、まずはボートに関係のない、僕の中学生のときのお話をひとつ。


僕の滑舌が悪いことは艇庫内でもまあまあ知れ渡っているのではないかと思います。散々なまでにイジられることもあります。たいてい三回も言い直せば通じるようになっただけまだマシになったほうなので皆さん許してくださいってかんじですね。

滑舌悪いキャラが定着し始めたのは、おそらく中二の頃ではないでしょうか。小学生のときには一切触れられたこともなかった滑舌について突然触れられ始めたのです。それを聞いた僕はその瞬間は何も思わなかったものの、それを境に滑舌の悪さを指摘されるようになり、カルチャーショック的な何かを感じると同時に、こっそり治そうといろいろ特訓しました。舌を動かして筋肉をつけさせようとしたり、音読したり、早口言葉の練習をしたり。まあ、それで解決するならいいものですが、そんなうまくいかず、面談のときに当時の担任の先生に滑舌をどうしたら改善できるか相談したものの、無理なもんは無理なんじゃないかと言われ、とりあえず滑舌の改善は諦めました。

この諦めがきっかけとなり、それからは滑舌悪いキャラをプラスの方に向けていこうとおもったわけで、中3の春、国語の短歌の授業で滑舌ネタを書いてやりましたよ。



『滑舌の 悪さは多分 クラスイチ 苦手な言葉は さしすせそです。』



これ以来、クラス内の同級生のみならず、国語の担当の先生にはじまり、他の教科の先生からも、ゆくゆくは他学年の先生からさえも滑舌悪いキャラをいじられるように…(下手したら大問題になり兼ねないのに滑舌いじりを先生もしてくれるあたり、いい学校だったなとつくづく思います)

まあ、ざっくりですが、滑舌悪いキャラはこんな感じで定着していったわけです。ただ、それで終わらせてしまうのは後々良くないので、治すために努力はしてます。ゆっくり喋ること、少し高めの声で喋ること、話し相手の耳を自分の滑舌に慣れさせること。それから、大学に入ってから少し気を使ってるのが、話の中に、間を作ること。これが滑舌治療に関係するかは知りません。が、これを始めたのは一つ理由があって、『失脚しない人たちは話の中や、質問に対する返答に間をおく』という共通点があるなと思ったからなんです。よくよく考えてもらうとわかっていただけるのではないでしょうか。ここ数年で多くの政治家や成功者が一瞬にして失脚する場面はテレビでもよく見られる話です。彼ら、彼女らの多くは、記者からの質問に即答し、時には感情的に返答してしまい、案の定策略にはまるわけですよね。常に冷静に、頭はフル回転で、落ち着いて。(←ボートとおなじですね!)

そんな話し方ができる、滑舌の悪さもカバーできる大人になって社会に出たいものです。




まるで今日の記事はおしまい。という流れですが、まだ終わらせません。もう少しお付き合いください。




さて、今日のタイトルの一次独立とエントロピー。一応意味としては、


一次独立…

『線型代数学において、ベクトルの集合が線型独立 (せんけいどくりつ、英: linearly independent) または一次独立であるとは、線型従属(一次従属)でないこと、つまり集合のベクトルの線型結合によるゼロベクトルの表示が自明なものに限ることをいう』


エントロピー…

『エントロピー(英: entropy)は、熱力学および統計力学において定義される示量性の状態量である。熱力学において断熱条件下での不可逆性を表す指標として導入され、統計力学において系の微視的な「乱雑さ」を表す物理量という意味付けがなされた。』


(ともにWikipediaより、一部抜粋)


まあなんのこっちゃってなる方もいると思うので雑な解説をしてみましょう。

一次独立は、「他の一種類、もしくは多種類の矢印を、正反対に向けることを除いて向きは変えずに、長さをかえて組み合わせれば、始点と終点を結んだ矢印が他の同じグループ内の矢印と重なる(一致する)」ことが起きない状態。

エントロピーは、一度変化したらもとに戻らない変化であることを前提として、より集まっているものは広がろうとする性質があり、広がり具合を数値化しようというものです。例えば、クラッカーのようなものです。一度開くと、もとには戻らないし、小さな空間にあったテープも部屋中に散らばってしまいます。つまり、この場合はクラッカーのエントロピーが増大した、ということです。

ざっくりした説明なので、実際の定義とは若干のズレはあるかもしれませんが、だいたいこんなかんじです。



さて、僕が何を書きたいのか想像できたでしょうか。

僕の中での今の悩みは、部内で現状としてこの一次独立とエントロピーの増大が発生していることなのです。

当然、部活というこの集合には、男女という区分があれば、漕手、舵手、マネージャーという役職もあり、さらにはひとりひとりの考え方や個性や信念があります。少なくとも、今の新二回生は入部当初と比べ、価値観や考え方などに変化がひとりひとりにあったのではないかと思います。ただ、それ故に同回生内の「次元」がより高くなり、(本来の意味とは厳密には違いますが)一次独立が発生し始めて来たのかなと思います。入部当初は役職に関係なく「仲のいい学年」であったものの、少しずつ複雑になっていく立ち位置に、「仲の良さ」が薄れてきたのではないかなと思うのが僕なりの思いです。更には、エントロピーの増大、つまりは「分離」が発生し始めているのが現状です。(少なくとも、今の一回生の退部者が少ないのはこの仲の良さのおかげだと思います。)


残念ながら僕はそんなに思考能力の高い、人の考えを奥まで読めるような人間ではないので、コーチ陣や上回生や、同回のみんながどんな思いでボート部で活動しているのかは正直わかりません。もちろん結果を出すことも大切だろうし、そのためにとき には冷酷な判断も必要であれば、身を砕く覚悟も必要なのかもしれません。それも一つ答えでしょう。僕の中での考え方としては、「辞めたい人間は特にしつこく止めたりはしないから辞めればいいし、辞めたくない人は他人が何言おうと辞めさせないし、残りたい人は残れるように考えてあげたい」と、「漕手も舵手もマネージャーもコーチもスタッフもOBOGも応援してくれる人たちも、みんなが本当に喜び悲しみ合えるように」のふたつでしょうか…あ、もちろん「勝ちたい」も言うまでもなく漕手をしてる以上ありますよ。


ええ、もちろん傍から見りゃ綺麗事ですとも。でもその綺麗事すら実現できるように自分にできることは考えながらやろうとしているつもりなんです、一応。ていうか、これができなけりゃ、試合で一人でも勝利を喜べない人がいるなら、一人でも負けを悔やめない人がいるなら、それはチーム阪大としては台無しなんじゃないでしょうかね。




チーム阪大として、勝利を掴めれば、加古川の苦い思い出も笑い話にできると信じて。

チーム阪大として今のチームで勝てるように。

新二回生漕手、大久保でした。




今日のお写真は、ネギマヨガーリック醤油というわけのわからない、けど地味に美味しかったりする味付けを発見したある日の大久保の夕飯です。春休みのあいだにマネージャーとエッセンを作る機会があれば、昼エッセンにでもぜひとも作らさせてほしい一品です。(許可がおりるかわかりませんが)


大阪大学ボート部 * - * 01:50 * comments(0)

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